■きっかけ

私が初めて料理に携わったのは今から20年前の15歳の夏でした。
何気なく目についた「アルバイト募集」の張り紙。伊勢市駅裏の韓国料理「華吉」でした。
当時、高校生の私のことを「ショーチャン」とかわいがって頂いた奥さんに夜毎、
新道桜通りに連れて行ってもらい社会人としての振る舞いを教えて頂いたのもあの頃でした。
この頃、私の料理人として第一歩が始ったのかも知れません。
しかしある時、お味噌汁ひとつ、野菜炒めひとつ作れない自分がいることに気付いたのです。
そして、当時「伊勢調理師専門学校」(現 伊勢調理製菓専門学校)に入校しました。

そして最後の授業・・・
講師はわが師、「ボンヴィヴァン」のシェフ「河瀬毅」さんでした。その授業で、
「姿勢よく料理しなさい。」 「片付けながら料理しなさい。」 「愛する人を想いながら料理しなさい。」
私の体に電流が走りました。 もっとレストランのことが知りたい!

「もしもし、働きたいのですが・・・。」
受話器を取るまでに時間はかかりませんでした。 その後の約6年はシェフのひとつひとつの動き、創り出す料理全てが新しいものでした。
入店して3年が経った頃、ある転機がおとずれました。
「ホールスタッフとして仕事をしないか。」というシェフの言葉でした。 ただし、仕事内容はこうです。
朝出勤するとその日の仕込みから始めます。魚を卸したり、ソースを仕込んだり、そして営業前になるとスーツに着替えて接客にあたります。そしてまた営業後はコック服に着替えて・・・という日々です。
いつか自分のお店を持ちたいと思っていた私には非常にいい機会でありました。

お客様に 「このソース、僕が作ったんですよ。」
なんていうと驚かれたり、時にはけげんな顔をされたこともありましたっけ。
じかにお客様の声を聞ける、喜んでいらっしゃる様子がわかる、こんなにすばらしいことはありません。
この頃にワインの勉強もし、ソムリエの資格を取りました。
次第に本場フランスを知りたい、見たいという思いが強くなっていきシェフにその思いを打ち明けました。
快諾してくれただけではなく海外の仕事先探しにまでお力を頂いた、河瀬シェフには今も感謝しています。

■ガレージ生活

当時(今も)フランスは失業率が高く外国人(特に日本人)が働く事は容易ではありませんでした。大半が年間数百万円を払って研修をするところばかりで、働いてお給料を頂く事の出来るレストランは非常に少ないのが現状でした。
しかし、こちらからお金を払って働きに行くということはいわばお客さんであり、その様な待遇にしかなりません。働いてお金を頂くところにこそ学ぶべきもの、料理、仕事の本質があると思います。なぜなら、仕事を与える方も本気、仕事をする側も本気だからです。
ですので私にはお金を頂くということは譲れないものでした。そして、幸運にもフランスの隣国「ベルギー」に働き先が見つかりました。
当時、ベルギー国内に3店舗しか無いミシュランの三ツ星店のひとつ「ブリュノー」でした。
ブリュノーでの約一年、日本人ということでの差別は数え切れないほどありました。
正式な就労ビザを持たずに働いていた私に案内された部屋はデポと呼ばれるオーナーの車の車庫でした。
とても部屋と呼べる物ではなくベッドが数組、卓上電気コンロが1つ。トイレと簡易シャワーのみの設備です。
「どうやって生活するんや?」
食事はレストランの一回の賄いのみ。その時に食べなければ次いつ食べられるか分かりません。必死でした。
楽しみはたまにやってくる日本人の若い料理人達と電気コンロひとつで料理を作り、安ワインでの食事会でした。
しかし朝起きると昨日まで一緒に働いていた日本人の彼が荷物をまとめて消えていたという事も何度もありました。
翌朝出勤すると他のスタッフから「あいつはどうした?」と訊かれ「いなくなった。」と答えると「日本人はいつもこうだ。消えていく!」
悔しくてしょうがありませんでした。
しかし、彼等から本当のプロ意識、世界最高レベルの仕事に触れる事ができた貴重な時間でした。また、半年ほどですが幸運にもソムリエという立場での仕事もさせて頂きました。
世界のVIPといわれる方々、王室関係者が来店した時などは緊張でワインを持つ手が震えました。
また、「雪が降る」で有名なシャンソン歌手のアダモさんもいらしたことがありましたね。僕が日本人と判ると流暢な日本語で話しかけてくれました。
わずか一年足らずのガレージ生活でしたが最後はレストランスタッフ皆がお別れパーティを開いてくれました。

■六本木ヒルズ

帰国後、ある方から東京に行く様に薦められました。六本木に凄い施設が出来るというのです。あの「六本木ヒルズ」でした。
アカデミー賞の公式シェフ、全米No.1とうたわれるウルフギャング・パック氏のお店です。フレンチを幹としながらカリフォルニア料理の枝葉を生む料理です。
フレンチしか知らなかった私には氏の料理は新鮮でした。

そこでもソムリエというポジションでしたが料理とワインとは密接な関係にあります。
これをフランス語でマリアージュ(結婚)というのですがソースに何が使われているか、素材との相性はどうか、火の入れ加減はどうかなど
様々な要素によってお勧めするワインが変わります。キッチンとの信頼関係が重要なキーになります。お客様の様々な要望、いらっしゃった時のシュチュエーション、注文されたワイン等によっては調理場に入っていき料理の素材、手順、ソース等いろいろ変えてもらう事もしばしばありました。
おそらくキッチンの皆からすると面倒くさいことばっかり言って来る奴だなと思われていたと思います。

必ず故郷の伊勢に帰ろうと思っていた私は六本木ヒルズの後、表参道、お台場と人の集まる場所ばかり勤務地に選びました。
そのほうがより濃密な時間を過ごせると思ったからです。

■レストランSHOW

そろそろ伊勢に帰ろうかなと思ったときにある人物と十年以上ぶりに再会しました。
私が学生時代に働いていた韓国料理店で「ショーチャン」とかわいがってくれていたお客さんのひとり、「あじっこ」のオーナーでした。
「あじっこ」のオーナーと色々な話をしていると「新しい洋食の店を開店するんやけどやらへんか。全て任せるから思う存分やってみろ。」
思いもよらないお話でした。

さあ、どんなお店にしようか、フレンチか、カリフォルニアか、スペインか・・・
毎日試行錯誤の日々でした。しかしあるとき
「何もジャンルにこだわる事は無い。余計なプライドは必要無い。自分が美味しいと思う料理、居心地が良いと思う空間。
出来る限り低価格でたのしい時間を過ごしてもらうこと。そのためにはお箸があったっていいじゃない。」

■そしてhome plus

フランス料理なのにお箸をご用意し「まるでホームパーティーで食べて頂く感覚で」を意識してオープンしました。
自分の大切な人を思えば私なりにはこのような形になります。ご家族で、カップルで、観光の方々にも楽しんでいただけるようにとの想いからです。
毎月お越しいただくお客様にも楽しんで頂けるように月単位でメニューが変わります。
まだまだ、発展途上の店ですが毎日が試行錯誤の日々で新たなお客様に出会えることが楽しみでわくわくします。そしてなによりお帰りの際の「楽しかったよ。」「ここを選んで正解でした。」なんてお言葉を頂くとレストラン人冥利に尽きますね。



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